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| 2001年 ベネチア・ビエンナーレにオープニングまでの2週間ほど、折元立身のアシスタントで行ってきた。海外の監督キュレーターはみな現場主義でアーティストと一緒によく働くといわれる。ハラルド・ゼーマンは毎日現場でたった一人で物差しを持って仕事。その姿はとてもエレガントだった。もとは造船所というアルセナーレの会場は全体がもうすでに アンゼルム・キーファーの作品の中にいるようだった。リチャード・セラのいい具合に錆びた鉄壁のスパイラルの真ん中は、だからただの空っぽの空間になった。ヨゼフ・ヴォイスの丸太のように切り出された石は、やはり横たわっていたという印象。ここで寡黙なはずの石は冗舌になった。コスタリカからの若い女性アーティスト、プリシラの作品は、3〜4メートル立法の箱(部屋)の内壁を生理用ナプキンを使って一枚一枚ホッチキスで覆ってゆく。「丹念な白さ‥‥」という言葉が浮かぶ美しいものだった。立身のブースはトイレの傍。通りがかった彼女にわたしは声をかけた。"I liked your art."明日はプレスのオープニングというのに、まだまだ完成できてない、パニック状態の彼女は涙を浮かべて喜んでくれた。この会場の中でも、水上バスで声をかけあったブラジルからの女性アーティストも、みんなみんなたった一人でこつこつ作品を設営している姿が印象に残った。それに比べればこちらは折元組といったところか。十数人でブレッドマンをやった。公園で準備を整えてから水上バスに乗り、各国のプレスが待ち受ける本会場のジャルディーニに。集まった見物客にパンをちぎって分けながら歩く。そして主催国イタリア館の前で整列してあいさつ。片目で足下がやっと見えるくらいだから、拍手の大きさに驚き、気持ちが華やぎ満たされた。顔の血がうっ血するほどきつく縛り付けたパンと、このまま暮らしてもいいかな‥‥と馬鹿みたいに思った。だから横浜トリエンナーレで100人のブレッドマンを手伝ったときは残念だった。かりだされた美術学校の生徒たちの、ただやらされてるというパフォーマンスはアートとは言えない。アートは自己申告で決まる。 この年のベネチア・ビエンナーレがわたしには初めての体験だったが、「人類のプラットフォーム」というテーマで開催されたアルセナーレの会場全体のレベルが高く心地よいアート探検になった。それにくらべ、ジャルディーニのほうは各国館のバラつきぐあいとか、催し物会場的な散漫さに、まあこんなもんかという気がした。その中でハンガリー館とイスラエル館が非常に良かった。アーティストの選択に余計な計算や力関係が関与してないんだろうな、と思った。イタリア館で見たサイ・トゥオンボリーの色彩が思わせぶりでなくて良かった。明るいイタリアの陽光とともに、ときおり思い出している。 |
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