Gallery Shoshi maimai
Toshio Mitsuhashi
haiku iroha karuta
illustrations by
Michiyo Namura
tsukiyo kara

umareshi kage o

aishikeri

Toshio karuta______エピソード text by Yutaka Nakamura

 敏雄俳句で遊んじゃおうか、というのがそもそもの発端。1994年、当時「春昼」1号に三橋敏雄小論<水泡と縄>を寄せてくれた越智洋といっしょにあいうえお順に44句を選び出し、ナムーラミチヨが絵札を描き、このときは僕が読み札を書いて、「としおカルタ」手づくりの1セットが誕生した。敏雄に内緒でこっそり贅沢に興奮して遊んだ。
 その最初の1セットが敏雄の目にするところとなりいたく気に入られ、同年12月号「太陽/特集:百人一句」(平凡社)の紙面に載った。敏雄ファンから問い合わせもあり、やがては面白い出版企画になる可能性を匂わせた。
 何度も読み返し親しんできた敏雄俳句が、きれいに音順に並んでいくのはそれだけで快感だ。しかしナムーラミチヨの斬新かつ丁寧な仕事は、俳句作品の単なる挿絵とか視覚化といったレベルを超え、敏雄俳句の本質に迫る質の高さに達している。1996年「春昼」3号、<律動する俳句空間>で彼女が綴った、敏雄俳句空間に引き込まれてゆく甘美な体験を、今度はカルタの箱の中に閉じ込めようとしているのかもしれない。
 最初のあいうえお順のバージョンは、いろは48句に選びなおされ、絵自体も入念に描き変えられ、読み札もますます味わい深まる力のこもった敏雄自身の筆による素晴らしいコラボレーションを見せている。
 ナムーラミチヨは、敏雄の俳句技法には非常に絵画的な面があり、また映像表現も豊富なことから、その作品は画家の絵ごころによく響いてくるという。その意味で、この仕事は敏雄俳句の視覚的解釈という側面も持っている。
 ともかくこれは敏雄ファンにとって、20世紀最後の豪華きわまりないプレゼントである。
   (2000.12.12の発行日を前に/俳人・中村裕)
三橋敏雄俳句/自筆による読札48枚

「三橋敏雄俳句いろはカルタ」(ナムーラミチヨ選)
(い) 家毎に地球の人や天の川
(ろ) 六尺越中畚猿股父祖の国
(は) 春野面見れば虫さへ幼しや
(に) 濁り田の隅にまひまひ熱中す
(ほ) 螢火のはかは蛇の目ねずみの目
(へ) 閉園の油臭のメリーゴーラウンド
(と) 共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに
(ち) 父母や青杉の幹かくれあふ
(り) 両の目の玉は飴玉盛夏過ぐ
(ぬ) ぬばたまの夜の蟻の巣を想ふ
(る) 累代の母恋いしやな昼寝覚
(を) 遠近の冬木が揺らぐとては棲む
(わ) 渡り鳥目二つ飛んでおびただし
(か) かもめ来よ天金の書をひらくたび
(よ) 世に失せし歯の数数や桜餅
(た) たましひのまはりの山の蒼さかな
(れ) 蓮根の輪切りの穴よ来し方よ
(そ) 外を見る男女となりぬ造り滝
(つ) 月夜から生まれし影を愛しけり
(ね) 根元まで赤き夕日の葉鶏頭
(な) 撫でて在る目のたま久し大旦
(ら) 雷雨乾く今日のベンチを老いて待つ
(む) むささびや大きくなりし夜の山
(う) 海へ去る水はるかなり金魚玉
(ゐ) 井戸は母うつばりは父みな名無し
(の) 野を蹴って三尺高し父の琵琶歌
(お) 思ひ負けの秋や秋やと石の川
(く) くび垂れて飲む水広し夏ゆふべ
(や) 山山の傷は縦傷夏来る
(ま) 待つとなき天変地異や握飯
(け) 啓蟄や歯に付く噛み菜まっさをに
(ふ) 吹いてくる風のかなたの春の滝
(こ) こがらしや壁の中から藁がとぶ
(え) 枝豆の食ひ腹切らばこぼれでむ
(て) 手をあげて此の世の友は来りけり
(あ) あぐらゐのかぼちやと我も一箇かな
(さ) さかしまにとまる蝉なし天動く
(き) 着て秋の手針の縫い目有難う
(ゆ) 行かぬ道あまりに多し春の國
(め) 目かくしの木にまつさをな春の鳥
(み) みぎきのひだり手やすし人さらひ
(し) 新聞紙すつくと立ちて飛ぶ場末
(ゑ) 餌もパンもない老人を囲む鳩
(ひ) 曵かれくる鯨笑って楽器となる
(も) 桃採の梯子を誰も降りて来ず
(せ) 戦争と畳の上の団扇かな
(す) 鈴に入る玉こそよけれ春のくれ
(京) 京しぐれ前の世はるか後の世も

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